概要
「ガラスの動物園」は、アメリカの劇作家テネシーウィリアムスによって書かれた戯曲です。
1944年に初演されました。ウィリアムスは、彼自身の家族をモデルにしてこの戯曲を書いたとされていて、登場人物たちの感情や心情は非常にリアルで深いものとなっています。
この作品は、家族の愛情や相互理解の重要性、夢と現実の間での葛藤、そして過去からの逃避の困難さなど、普遍的なテーマを扱っているため、現在も多くの人々に愛され続けています。
登場人物
トム:主人公・長男・詩人

工場で働きながら家族を支えているが、詩人の夢を追い求め、家を出たいと思っている青年です。
毎晩映画に行くと言っては深夜2時ごろまで街をうろつき、酔っ払って帰ってきて、
3時間ほど眠って仕事に出かける生活を送っています。
それを1ヶ月半の間、アマンダに隠しながら生活していました。
「僕はね、今ようやく燃えているところなんだよ、外からは寝ぼけているように見えるかもしれないが、胸の中は燃えている。倉庫で靴を手に取るたびにゾッとするんだ、この短い人生をこんなことしていいのかって」
–小田島雄志訳–
ローラ: トムの姉

足の不自由さにコンプレックスを持ち、極度の人見知りな緊張症の女性です。
1月からタイプライターの学校に通い始めるものの、2、3日で、登校拒否してしまう。
学校へ行く代わりに公園、美術館、小鳥の家、植物園の温室に行き、時間を潰していました。
登校拒否の理由はタイプライターを前にすると手が震えてしまい、
気分が悪くなり教室で吐いてしまったからです。
ペンギンには毎日会いにいっていました。
なぜなら母親をがっかりさせたくないからです。
彼女の趣味はガラスの動物たちの世界に浸ることです。
「とっても小さいの、飾り物のの!そのほとんどが動物よ、世界一小さな動物たち。母はガラスの動物園って呼んでるわ!ここに1つあるけど、ごらんになりたければどうぞ!これ、一番年上なの。もうすぐ十三歳。」
–小田島雄志訳–
アマンダ:2人の母親

若かりし頃の南部で生活していた過去の栄光や思い出から抜け出せず、子供たちの人生に過干渉してくる母親です。「女性のとも」という婦人雑誌の予約購読者を勧誘する仕事をしている。
「そういうほんのわずかな欠陥がある場合はね、その埋め合わせをするなにかほかのものをのばせばいいんだよ–––魅力とか–––ほがらかさとか–––そう–––魅力よ!あんたに必要なことはそれだけ!あんたのお父さんもそれだけはたっぷりもっていた–––魅力だけは!」
–小田島雄志訳–
ジム:トムの同僚

トムの職場の同僚でもあり、ローラの幼馴染の青年です。学生時代はスター的存在でした。しかし1度、落ちぶれてしまい、そこから立て直しを図っている青年です。ラジオ工学や弁論のコースに通い、TVの時代を予見している。
「だから、だれかがきみに自信を持たせてあげなくちゃ、恥ずかしかって目をそらし–––顔を赤らめることをやめて、自分に誇りを持つように–––だれかが–––どうしても–––どうしても–––ローラ、きみにキスしなくちゃ!
–小田島雄志訳–
時代背景

奇妙な時代、1930年代、膨大なアメリカ中産階級の人たちは盲学校に入学指定いきました。ドロドロに溶けていく経済のいくすえを読み取ろうとしていた。スペインでは内乱がり、ピカソが「ゲルニカ」を描き、アメリカでは喧騒と混乱があるのみでした。
Act1

母親アマンダの悩みの種はローラが自立できないことでした。
ローラが自立できる生活を送るにはお嫁に行かせるか、手に職をつけさせるかの二択しかありません。
そこでアマンダは、タイプライターの学校にローラを通わせていました。
しかしある日アマンダはタイプライターの学校をローラが無断で欠席している事実を知ります。
ローラは一度、学校で緊張して吐いてしまったことがあり、それがトラウマになって、いつも学校へ行くふりをして、動物園や美術館で時間を潰していました。
そのことで怒りや失望の念でいっぱいになったアマンダですが、どうしようもありません。
ローラの求婚相手探しが始まります。
その相手探しをトムに促し、渋々トムは同僚のジムを招待します。
Act2

ジムが訪れることになったアマンダは急いで南部式のおもてなしの準備に取り掛かります。
ちなみに、ここにアマンダの性質がよく現れています。彼女は【おもてなし】をする文化で育ちました。
ユーモアや気品のある会話で接するお上品なパーティーが大好きで、しかもそれが得意だった彼女は、昔の思い出に浸りながら、その武勇伝を子供達に自慢します。
しかし、問題はローラにとって、ジムはまさかの初恋相手ということです。
緊張症のローラは最初は会うことを拒みますが、アマンダの勢いは止まらず、ジムとの会合の時に無理矢理ジムとローラを2人っきりにさせます。
最初は緊張しすぎて何もできないローラですが、二人っきりにされては会話をせざるを得ません。
そこで2人は当時の思い出を語り、ダンスをしたりします。
ジムの雄弁な演説でその雰囲気はロマンチックなムードになります。

最後はキスまでしてしまいますが、実はジムには求婚相手が別にいたのでした。
(やり逃げのジムですが、ジムにはそうせざるを得ない理由がありあります)
ジムは正直に求婚相手がいる事実を告げて、パーティーは終了します。
求婚相手がいる男を連れてきたトムに対して
アマンダはブチギレて、トムを家から追い出します。
トムはずっと家を飛び出したいと思っていたのでここぞとばかりに家を飛び出します。
それから数年経ってトムが未だにローラを置いてきてしまったことに未練を感じずにはいられません。
でもどうかそんなローラの呪縛から解放させてほしいと観客に向かって独白するところで幕が閉じます。
おすすめモノローグ
–小田島雄志訳–
僕は月の世界には行きませんでした、
もっとはるかに遠いところへ行ったのです。
時のへだたりほど遠いものはありませんから。
あれからまもなく、靴の箱の蓋に詩を
書いているところを見つかって、
ぼくは会社をクビになりました。
ぼくはセント・ルイスを飛び出しました。
この非常階段を最後におりてからは、
ずっと父の歩んだ道を追い続けました。
空間に見失ったものを行動に見出そうとしたのです。
ぼくは旅から旅を続けました。
さまざまな町が枯葉のようにぼくのまわりを
吹き抜けていきました、
色鮮やかではあっても枝から
吹きちぎられた木の葉のように。
どこかに足を止めたいとは思いましたが、
ぼくを追い立てる何かがあったのです。
それはいつも思いもかけぬときに、
不意に襲ってきました。
たとえば聴きなれた音楽の一節になったり、
あるいは透明なガラスのかけらになったり。
たとえば、ある見知らぬ町の夜の通りを、
話相手もなくひとりで歩いている。
ふと、香水を売る店の前を通りかかる。
明るいショー・ウィンドーいっぱいに、
色のついたガラスの瓶が並んでいる、
ほのかな色合いの小さな透き通った瓶が、
まるで打ち砕かれた虹の断片のように。
するといきなり姉の手が僕の肩に触れる。
僕は振り向いて、姉の目を見る。
ああ、ローラ、ローラ。
僕は姉さんをきっぱり捨てようとした、
そのつもりだったのにどうしても
姉さんのことが胸を離れないんだ。
僕はタバコを探す、通りを横切る、
映画館やバーに飛び込む、酒を飲む、
そばにいる見知らぬ人に話かける
・・・なんでもいい、姉さんのろうそくを
消してくれそうなことをやってみる。
だっていまは、すさまじい稲妻が世界を照らしているんだ!
そのろうそくを吹き消してくれ。
ローラ。そして、さようなら。
「ガラスの動物園」の一番最後のトムの語りです。
家を飛び出してから、幾らか時が過ぎていて自分の想いを観客と共有することで、この物語は終わります。
トムというキャラクターはこのことが言いたいために、二時間近く物語を披露しているのです。
また、物語を通して今まで劇中の芝居で行われた出来事は全てトムの追憶であり、
心の中に取り巻くセンチメンタルなものです。
テネシー・ウィリアムスは冒頭でトムに、「この物語は追憶の世界である」と語らせています。
詩人として世に出ていきたい若者(トム)が家族を捨てて世界へ飛び出すことに対して
ずっと罪悪感を抱き続けていました。
ローラを置いて出て行くことに対しての葛藤がトムにはあって、
物語の終盤でようやく意を決して家を出て見たものの、ずっとお姉ちゃんのことが胸を離れないでいる。
このお姉ちゃんに対する罪悪感を観客の前で終わりにさせようとするトムの決意がこのモノローグです。
心を打つ素晴らしいモノローグです。
「ガラスの動物園」を演じた有名俳優たち

エイミー・アダムス
役名:アマンダ
2022年:ウエスト・エンド
エイミー・アダムにとってWEST ENDデビュー作品

ジェシカ・ラング
役名:アマンダ
2005年:ロンドンアポロシアター

ジョン・マルコビッチ
役名:トム
1987年:フィルム
ポール・ニューマンが監督した「ガラスの動物園」にマルコビッチが出演しています。
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